昭和52年12月17日 朝の御理解



 御理解 第80節
 「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。」

 この御理解はどこをどう頂いたら、おかげに繋がるか。私は何時も思うのです。この教えという御教えは、必ずこの理屈が分かると言うだけではなくて、道理が分かるというだけではなくて、頂くもののおかげに繋がる、お徳に繋がる頂き方でなからなければならないと思う。そこでこれは例えば、年寄りがほんならこの御理解を頂いたと致しましょうか。それこそ尻こそばいいような思いがするんじゃないだろうか。まぁ私共でもまぁ年寄りの部にまぁ入りますかね。
 先に生まれた者ほど世のお役に立って来てると言われるが。果たして私はどれだけ、世のお役に立ってきただろうかと。むしろ私は世の中のご厄介者、お邪魔になってきた様な事はないだろうか。若い者の手足まといになっておるのじゃなかろうか。若い者が敬おうと思うてもね。敬うて貰えんような根性が、私の心の中にあるのじゃないだろうか。私はそういう風に、もし年をとった者が頂いたらです。
 例えばほんならもうまぁ六十の手習いと申しますかね。改めてこれは本当に良い年のとり方、頂き方がなされなきゃならない。本当に心から若い者から敬うて貰えれる、大事にして貰えれる年寄りにならなければいけないぞと。そして過去のことを思うて見て、本当に別にどれだけ、世の中のお役に立って来たと言うことのない、私は本当にお詫びをしなければならないと思う。世のお役に立って来ておる、人の世のために段々と働いてきておるとするなら、それは必ず若い者が大事にするでしょう。
 もし大事にされないとするなら、自分の過去を振り返ってみて、お詫びする以外ない。もちろん神様にお詫びする以外はない。そして分からせて頂いた今日からでも新たな信心、いうならば年寄りの考え方を、これは若い者におべっかを使うと、言う様な事では決してない。もう若い者から大事にされんならんから、若い者にまぁ若い者の、機嫌取りの様な事を言うたり、したりするとそう言う事じゃない。問題は心なんだとね。それこそ六十の手習いである。
 分からせて頂いたら、今日只今からでも改まらせて貰うて、こらこのごろうちのお爺ちゃんやら、お婆ちゃんやら変ったと、若い者から若い者と言うより、特に肉親の子や孫。嫁達からでもです。もうこの頃うちのお爺ちゃんな変わりよる。もう大事にせにゃおられん。そういう頂き方をしたら、私はおかげに繋がる頂き方だとこう思う。教祖様はちゃんと言うちゃる。年寄りを大事にせろと言うちゃる。
 だから大事にせにゃならん、自分の大事にされない元を棚にあげて、そういう考え方をしたんでは、おかげにも繋がらないしお徳にも繋がらない。そこでほんなら今度は、若い者でも役に立つ人は。何となく人が敬うようになると。そこにほんなら、若い者がこの御理解を、まぁ頂かせて貰うたら。勿論年寄りを大事にすると言う事を分かると言う事だけではなくてです。これは自分達も段々年をとっていかなきゃならんのだから。本気で世のお役にも立たせて貰おう。
 人の世のためにも働きをさせて頂こう。そこに言うならば働きの、いわゆる生き甲斐を感じれる。いわゆる生き方にならなければならないぞと。不都合不行き届きの事になっては、敬うてくれぬようになる。若い時から敬うて貰えない様な事では、だから年をとったらいよいよ、まぁろくそにされても仕様がないと、まぁ分からせて貰うて。いわゆる信心の言うなら真を現していく生き方を身に付けなければいけないと思うですね。若い時の言うなら元気。若い時の考え方というものがです。
 果たして人に敬うて貰うような、いや本当に神様に認めて頂くような自分というものを、見極めて信心をしていくとすると私はね。この御教えによって、おかげを受けることが出来、と徳を受けるという事が出来るという風に思うのです。どうだろうか、若い人達が何となく人から大事にされ、何となく敬うて貰えておる自分であろうか。お年寄りの人達が果たしてこの御理解を頂いて、胸にぴちっと来るような。
 本当に世のお役に立っておると言われるけれども、果たしてどれだけ世のお役に立っておるだろうかと、若い者は若い者で年寄りは年寄りで、改めて自分の言うならば、生き方というものがね。いわゆる生き様ですが、ご神意に叶う生き方をしておるだろうかと、改めて思わせられる御教えだと思いますね。先日大阪から見えた先生方が、私にほんならあちらに出てくるようにと言う事を、しきりに言われるお話の中で、泉尾の先生とてももう七十四歳になられる。
 まぁ失礼な言い方ですけども、ここの先生でももう六十四になられる。だから何時ころっと行きなさるじゃら分からんと言う事を言われる。本当に私は思うです。いよいよ世のお役に立たせて貰えれる生き方を、もう頂いたらもう本当にそうだと思うたら、その場からその気にならせて頂く。もう本当に只今からです。もううちのお婆ちゃんばかりがと。家のお爺ちゃんばかりがと。
 言う風な言い方をされる年寄り、亡くなってからでも例えばその、あんまり大事にされない年寄りも居ります。いよいよ改まらせて貰わにゃいけません。ちょいとうちの爺さんは、扱い難い爺さんじゃったとか。お婆さんだったとかと言われる様な事であってはならない。うちの爺ちゃんこの頃えらい年取るに従って、頑固にならっしゃった。うちのお婆さんは、この頃年取るに従ってまがり根性が強うなりなさったと言った様な事のない、年の拾い方をさせて頂きたいと思うですね。
   どうぞ。